飯田下伊那のお菓子の歴史

南信州飯田の風土と菓子の歴史
飯田下伊那お菓子の歴史伊那谷の菓子 長野県の南端に位置し中央アルプスに囲まれた伊那谷の中核都市飯田、古く奈良時代から中央との関係が深く富本銭(奈良時代の貨幣)も見つかっている。当地域は現在も新野の雪祭り、大鹿歌舞伎、今田人形及び黒田人形などに代表される民族の宝庫であって、これらの文化を背景に世界的規模の人形劇の祭典「人形劇フェスタ」が開催され、世界から劇人が飯田に集結しています。
飯田は、昔、東山道の古道が通っていて古くからの関西文化の影響を受け山都にありながら話言葉も関西系の柔らかい方言を今に残しています。
江戸時代には、関東の文化が入ってきて関西系と関東系の文化が混じりあって独特の文化が出来上がった所で、日本のほぼ真ん中に位置し生活文化、食文化とも独特の風土をかもしだした所で、大地主や町の商人の裕福な者は自分の邸内に茶室まで持っていたと言われています。
飯田下伊那お菓子の歴史工場風景 飯田下伊那における地場産業としては、漬物・味噌・醤油・菓子・凍豆腐・紬・家具・水引などがあります。
菓子の出荷額が80億円余になっていて、事業所数も82事業所となっています。
菓子と人の一生
出生生後3日目に3ツ目のおはぎを近所に配る。
7日目に仲人、親戚、知人を招き祝う。
お返しは男は31日目、女は33日目の
お宮詣りか産婦の床上げがすんで
産後3週間目に配ることになっている。
赤飯
赤白まんじゅう
紅白鳥の子
誕生祝出生後満1年目に誕生餅を背負わせる。
一般には近親や親友を招いて祝う。
誕生餅、パースディ・ケーキ
赤飯、鳥の子、式菓子
ひな節句桃の節句ともいう。3月3日。
無病息災を祈る。
桜餅、くさ餅、菱餅、ひなあられ、
ひな菓子、デコレー
端午の節句5月5日の子供の日。菖蒲の節句ともいう。
邪悪を除く菖蒲と、葉の落ちない柏により、
子供の繁栄を祈る日。
柏餅、ちまき、デコレー
七五三3歳は男女とも、5歳は男、7歳は女の子を
11月15日に千年までも長生きするように
と神に祈る。
千歳飴、鳥の子、赤飯、
まんじゅう、デコレー
入学祝試験の難関突破、入学の喜びは本人、
家族一同の喜び。入学発表と同時に
早目にお祝いする。
赤飯、鳥の子、鶴の子、デコレー
卒業祝学校や家族も祝ってくれるが、本人も
お世話になった人達へお礼をする。
赤白まんじゅう、鳥の子、デコレー
成人式満20歳に達した人の門出を祝う。
1月第2月曜日。
赤飯、デコレー
結婚祝男女が結ばれて晴れて2人が人生の
新出発をする大切な祝である。
祝用引菓子、赤白まんじゅう、
ウェディングケーキ
年祝男女の大厄明けとか、61、70、77、80、88など
長寿の祝い。また結婚記念の祝いなど。
引菓子、羊羹、デコレー
快気祝病気全快したら、内祝として返礼する。
見舞をもらった人をおぼえるためメモを
するとよい。
赤飯、鳥の子、紅白まんじゅう
建前家の骨組みができたのを祝って、大工、
トビ職などに祝酒をふるまい、子供に
餅を投げる。
お供、赤飯、投げ餅
新築祝
開店祝
知人を招いてお祝いする。紅白餅、鳥の子、赤飯、打物、
式菓子、羊羹
通夜見舞不幸の通知を受けて、すぐゆく。
客の多い時なので、菓子など
ダブっても喜ばれる。
まんじゅうの盛菓子、お茶菓子
葬礼
香典返礼
当日会葬者に配る供養菓子があり、
また仏前に供える菓子もある。
香典返しは仏式なら77忌(49日)に、
キリスト教は一週間後、神式は30日祭の
すんだ後でする。
まんじゅうの盛菓子、塩釜、式菓子、
焼まんじゅう、(しのぶまんじゅう)
先祖の年忌仏式は亡後7日目ごとに行う27~49日に
至るを中陰法要。100ヶ日、1周忌、3回忌、
7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、
33回忌、50回忌。
しのぶまんじゅう、上用まんじゅう、
式菓子、白飯、盛菓子
病気見舞
産婦見舞
滋養のあるものをえらぶ。あまりしつこい
ものはさける。
妊娠5ヶ月目の戌の日に帯しめ団子をくばる。
カステーラ、葛湯、ケーキ、その他
会合さまざまな会合がある。お茶菓子、菓子全般